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zoom RSS 落語の中の言葉153「裏長屋1/4・井戸」

<<   作成日時 : 2016/07/20 20:34   >>

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  今回は八つアん、熊さんたちが暮らしてる裏長屋をとりあげる。
まずは例によって『守貞謾稿』(巻之三)から。

 下図のごとく、中央の路次の東西あるひは南北の街に貫きたるを、京坂にてぬけろうじと云ふ。抜け路次なり。江戸にては、抜け裏と云ふ。江戸ぬけうらはなはだ多し。京坂抜け路次はなはだ稀なり。
 このろじと云ふ正字、露路か。今俗、皆路次の字を用ふ。
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 裏長屋に必ずあるものは、路次(木戸と溝(どぶ)・溝板)、掃溜め、惣後架である。井戸はすべての長屋にあったわけではなさそうである。掘れば必ず使える水が出るというものでもない。新吉原も元禄宝永頃に紀伊国屋文左衛門が揚屋尾張屋に掘り抜き井戸を掘るまでは砂利場等の井戸から水を運んでいた(65「掘抜井戸」)。また路次裏に井戸があるところでは路次口に井戸が有る印の木札を付けている(92「火の用心ー続」)のも井戸のない路次裏が多かったからであろう。

 次にあげる伏見町の貸家は長屋ではなく多くは庭付きの貸家であるが、路次裏に掃溜めと惣後架はあるが井戸はない。井戸は表通りにあるだけである。ちなみにこの井戸はおそらく水道井戸であろう。
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 井戸がない所は勿論、井戸があっても飲み水に使えない所は、近くの飲料水に使える井戸から水を運ぶか、水屋から買わねばならなかった。

 また銭瓶橋際にあった玉川上水の吐口から出す上水の余水を汲んで、本所・深川辺の者や、水船を使って廻船へ売水する者がいた。享保七年(一七二二)四月の町奉行大岡越前守の上申書では、「南本所小名木川より北本所亀沢町通迄西者御船蔵辺より東者四之橋辺迄凡平均竪拾九町程横拾壱町程之所」は上水の水元より末であって水勢が弱いので、上水に潮気のないときは上水を使うが、潮がさしているときは、もっぱら船水を使うと記している。この船水は水船の売水であったろう。寛延元年(一七四八)八月、銭瓶橋の吐口が廃止となり、それ以後、水船は神田上水の余水を利用していたが、寛延二年八月、水道橋上水樋修復のため、神田上水も掛らなくなり水売人が難儀するに至ったので、吐水請負人方の出費で銭瓶橋の玉川上水吐水場所を前々通り樋を付けて余水を汲むことのできるようにしたいという出願があった。これに対し、水道橋上水樋が完成したら、右吐水を汲むことを取止めることを条件に許可されている。
 上水の余水を売水とする水船持は後には仲間をつくり、行事を定めて仲間内から上納金を集めるようになっていた。幕末には神田・玉川両上水の吐水を利用する水売人は、呉服橋門内銭瓶橋左右と、一石橋の左右の吐口から出る上水の余水を汲んで売っていたが、これら水売人は上納金を納付することで、この両吐口の余水を利用する権利を持っていた。明治元年(一八六八)の例では水船持行事二名が金八両三分二朱と銭三五六文を上納している。しかし明治二年六月に至り、これらの上納金が免除されるとともに、この吐口の水を汲んで利用する者は、これら水汲人に限らず。誰でも自由に汲むことができるようになった。(伊藤好一「江戸の水道制度」『江戸町人の研究』第五巻)


 埋め立て地の本所、深川あたりでは、水質も悪く、井戸も掘れないところから、飲料、炊事用の水を売る行商人が廻って来た。

 此時、巳ノ刻(午前十時ごろ)の鐘ボヲンボヲン
水屋「今日は、ようございますかな。水屋でございます」
りき「水屋さん、看て入れておくれよ」
水屋「ハイハイ、かしこまりました。水や宜しう。はい、半荷(一荷は、天秤両端の桶。半荷は、一方の桶)の口もございましょう」 (為永春水『春告鳥』四編)

というのが、その光景で、
そこが江戸一荷の水も波で売り (柳72)
という句もあるように、一荷の水が、波銭(四文銭)という安さだった。(興津要『大江戸長屋ばなし』)

  井戸を掘ってもいい水が得られないのは本所・深川に限らない。大川手前の江戸の町のなかにもある。

  ついでにいうと裏長屋にあった井戸は車井戸のような立派なものではなく、屋根もなくただ側だけのものだったようである。長い竿の先に桶とつけたもので水を汲んだらしい。
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            菱川師宣『江戸雀』六巻 延宝五年1677刊

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              深川江戸資料館に再現されたもの

 また年に一度七月七日長屋総出で井戸替えを行ったという。

 井戸浚い 七月七日は七夕の佳辰、五節句の中、三月上巳・五月端午と同じ。今日は江戸中井戸浚いを挙行す。上は諸侯方、下は裏々の共同井戸に至るまで、皆水を汲み干して浚う。まず井戸の化粧側をはずし、車にて綱を下げ大桶を卸(おろ)して、その綱は共同井戸使用の人々、残らず出て曳くの習なり。井水七分通り汲み干すや、井戸職、井水中にくぐり、井側を洗い、底に落ちたる物を拾い出し、ことごとく汲み干すやまた化粧側を元の如くかけ、板戸を蓋にして、御酒・塩を供えること市中皆一様なり。昨日より今日正午までに浚い終わるなり。(『絵本江戸風俗往来』)

  落語「妾馬」(三遊亭円生)にも井戸替えが出て来る。侍に「この中に家守がおるか」と尋ねられ、「ヤモリなんぞいねえなア、鮒っこが二疋と櫛が二枚と簪が一本、それッきりで」と答えている。

  井戸かへに出ルかんざしハ銀ながし  誹風柳多留三篇
  井戸がへハ深さを横へ見せる也     誹風柳多留五篇
  人をくみ出すと井戸がへ仕廻イ也    誹風柳多留十四篇

   註:銀流し 『我衣』に「銅にても真鍮にても、松脂をわかし、その内へひたし引上て、外に上に(ママ)なまりをわかし、そのうちへ入れば銀流しと成る。」とある。
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            井戸替えの図。『絵本世都濃登起』より
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            井戸替え終了後の画
            「意勢固世身見立十二直 文月の晒井」香蝶楼豊国

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