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zoom RSS 落語の中の言葉155「裏長屋3/4・掃溜」

<<   作成日時 : 2016/08/31 20:22   >>

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 裏長屋にある掃溜は蓋のない木製の箱のような物だったらしい。
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     『教草女房形気』四編下(江戸東京博物館『大江戸八百八町』より)
  左端の猫が半身を突っ込んでいるのが掃溜である。
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              深川江戸資料館の復元物

  江戸のごみ処理の仕方は、裏長屋の路次内にある掃溜から町のごみ溜場に出し、それを請負人が幕府指定のごみ捨て場へ運んで捨てるというものだったようである。

 江戸のごく初期は人口も少なく、またそこら中に葭原などもあり、ごみの処理は問題にならなかったのであろう、初めてごみについての町触が出たのは慶安二年1649である。

一会所江只今迄捨置候こみはきため之分、四町之町中として五日之内ニ早々取捨、跡をたいらにならし可申候、以来少もこみはきため捨申間敷候、若少成共捨候者於有之ハ、四町之町中江御掛被成候間、随分吟味いたし改可申候事
   丑六月
 右は六月廿八日御触、町中連判   (『江戸町触集成』第一巻)
 
  江戸の初期の町割りは「横丁の隠居」で書いたように、六十間四方が標準であったという。
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                 吉原健一郎『江戸の町役人』より

  通りに面さない中央の20間四方すなわち400坪の部分が会所地で、通りに面した四つの町で囲まれている。ここにもごみを埋めたり捨てたりしていたようである。
 この御触れが出された時には、ごみを捨てる場所は指定されていない。6年後の明暦元年1655に永代島へ捨てるよう触れが出されている。

一町中之者、川筋江はきため之こみ捨申間敷候、船ニ而遣し永代島江捨可申候、但夜ハ御法度ニ而候間、昼斗捨可申候事
(以下略)
  (明暦元年)未十一月
右は十一月廿五日御触、町中連判   (『江戸町触集成』第一巻)

   翌十二月には高札が建てられている。

一所々よりちりあくた船ニ而捨所、永代浦ニふた(札)を立置候間、彼所江遣し可捨之、若道筋において捨之、又ハ夜舟ニ而遣候儀、停止たるへき事
 右之条々可守之、若猥之輩於有之は、速ニ可被行曲事、近所辻番之者可改之者也
   明暦元年十二月日      奉 行
    此御制札、銭瓶橋、神田橋両所ニ建

  高札は内御堀、江戸橋より下横堀にも建てられた。永代浦には次の高札が建てられた。
一江戸中よりちりあくた船ニ積来、此所ニ可捨之、若他所江於捨置候は、見合次第ニ急度曲事ニおこなわるへき者也
   十二月日 (同書)


 永代浦のごみ捨て場は享保十五年1730に深川越中島へ変更されるまで続く。

江戸中塵芥捨所之儀、只今迄永代新田ニ定捨候所、右之場所相止、向後深川越中島後江塵芥捨場相定候ニ付、所々之札建置候間、当七月より右場所江遣可捨之、余方江一切不可捨之、中途に而捨之、又ハ夜船ニ而遣候儀仕間敷候、若相背者於有之ハ、急度曲事可申付者也
  (享保十五年1730)戌七月
右ハ七月廿五日御触、町中連判同廿七日樽屋納 (『江戸町触集成』第四巻)


  但し享保九年から一年弱の間は、御鷹野御用に埋立るため本所猿江町御材木蔵跡入堀之内が一時的に指定されている。

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      『宝永江東本所図鑑』宝永二年1705 (『大江戸八百八町』より)
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           尾張屋板切絵図「本所深川絵図」嘉永五年1852

 町のごみ溜場についてはよくわからない。寛文五年1665に設置が命ぜられ、やらい新設の費用は幕府が支給し、以後の修復は町負担となっている。

一今度町中ニこみ溜場被仰付候間、塵捨候ハヽ其町之こみ溜場之内江捨可申由可被申付候、若こみ溜場江捨不申候而脇江捨候ハヽ可為越度候間、右之通町中不残可被相触候、少も油断有間敷候、以上
   (寛文五年1665)五月十六日          町年寄三人

(前文略)
一去年所々つきぬけニ被仰付候こみ捨場所之やらい之入目、従御公儀被下候へとも、以来ハ破損仕候は、其場所へ捨候町之者共寄合、修復可仕候事
   寛文六年1666午ノ正月晦日   (『江戸町触集成』第一巻)

  宝永七年1710に伊勢町で新たにごみ溜を作っているが、その入用が金弐両と銀八匁四分であるから、矢来で囲っただけのものではなさそうである。(『伊勢町元享間記』元禄から享保に至る伊勢町の町役人の記録)伊勢町には米河岸・塩河岸があった。
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                       『江戸名所図会』より

   證文の事
一、町内入堀江、ごみ、あくた投申間敷事。
一、川岸通り蔵の内より、ごみ、ほこり、入堀江掃入申間敷事。
一、蔵ひあひ、川端に、ごみ、あくた、少しにても差置申間敷事。
右の通り被仰付候に付、此度三会所ごみため新規に拵候入用、
 一、金二両と銀八匁四分  小判六十匁割、銭十三文がへ
  内銀二十一匁四分は、中村七右衛門殿より出る。是は会所江ごみ出候に付、此割付出候也。
  残て銀百七匁
  米川岸通八十七間半に割、小間一間に付一匁二分五厘宛出之。
   寅二月十九日    月行事 又 兵 衛
                      六右衛門


 町のごみ溜場から幕府指定のごみ捨て場へ運ぶ費用は町入用から出されるが、路次内の掃溜から町のごみ溜場へ出す費用は長屋の住人が負担するところもあったようである。
 町奉行所の与力からの質問に答えて提出した書付に次のように書かれている。

(寛政三年1791)亥二月
  筑後守様御番所江肝煎之内箔屋町又兵衛室町助右衛門被召出、萩野政七殿被仰渡之

一地借店借之者より地代店賃其外ニ番銭芥銭晦日銭差出候由、右番銭は何々之番銭ニ候哉、芥銭抔は地主より差出、何分通は店借江割合候と申義、定ニ而も有之哉、晦日銭は何方江差出候哉
 此儀番銭は場所ニより拾五文位より弐百文位迄高下有之、月々家主江取集、番人抱人足給金手当ニ仕、不足之分は地主共より町入用ニ而差出候場所も有之、何分通りと申極は無之候得共、縦番人給分三〆文之内弐貫文は地主より差出し、三分一は店々江割付候も有之、又は店集不致、町入用斗ニ而差出候場所も御座候
芥銭之儀、其店内芥溜より町内会所地又は大芥溜迄持出候賃銭之分、店集致相払申候、尤芥溜より船積致取捨候入用之分、町入用ニ而差出候場所も御座候  (『江戸町触集成』第九巻)

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