落語大好き

アクセスカウンタ

zoom RSS 落語の中の言葉161「恵方参り」

<<   作成日時 : 2016/12/30 20:09   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

        五代目 柳家小さん「御慶」より

 千両富に当たった八五郎、立派な姿を友だちに見せようと裃姿で年礼に出掛ける。友だちの家に行くと朝早く出かけたと言われ、通りを歩いていると向こうからその友だちが三人連れでやって来る。おめでとうの挨拶を受けて「御慶」と言うと、通じない。「御慶ッ云ったんでエ」と言うと「どけエ行ったんでエ」と聞き違え「恵方参りに行ったのヨ」。

 江戸の後期には、元日に初日の出を拝することと恵方参りが流行したらしい。天保九年1838刊の『東都歳時記』には元日のところに次のように書かれている。
 元日 ○諸家年礼(商家にては二日より出づる。元日は戸を開かず)。
 ○今朝若水を汲む。今日より三日まで貴賤、雑煮・餅を食し、大服(ふくちや)をのみ、屠蘇(とそ)酒をすすむ。屋中年徳棚を儲く。今日より六日までを松の内といふ。
 ○深川・洲崎・芝・高輪等の海浜、神田の社地等にて日の出を拝する輩、今暁七つ時〔午前四時頃〕より群集(ぐんしゆ)す。
 毎月産土神(うぶすな)参り(毎月朔日・十五日・二十八日の三日には、貴賤、生土神へ詣す)。(以下略)
 ○恵方参り、諸社。

  また六日のところには
 六日 ○良賤年越しを祝ふ。(六日年越しといふ)。今夕、門松を取り納む(承応の頃までは十五日に納めしとなり。古来は十五日に爆竹ありしが、国禁によりて今なし)。
 ○産土神参り(今夜七種菜をはやす。厄払ひ来(きた)る)。

  これより三十五年前の享和三年1803刊「増補江戸年中行事」には元日のところに恵方参りの記載はなく、六日のところに
六日 年越祝ふ、恵方氏神参り、門松おさめる。

  とある。

『日本国語大辞典』によれば「恵方参り」は室町時代からあったという。江戸時代のはじめにも恵方参りは行われていたが盛んになったのは中後期からのようである。

世に恵方もうでして初春のあした、己か居所より明の方とやらんの方角の佛神へ参詣して年の吉祥を願ふを恵方まいりと称し、北村季吟翁が増山の井にも誌せしかば古き事にや、(以下略)
(十方庵敬順『遊歴雑記』第三編 文化十二年1815)

    註:北村季吟 寛永元年1624〜宝永二年1705

江戸の下町では、正月にはどこの家でも、歳徳神と呼ぶ神様を迎えるための棚を吊る習慣があった。(中略)
 正月というのは、むかしは正月様、年神様、歳徳神などと呼ばれる神様を、家々で迎えて祭る日であった。現在ではもうそれは忘れられており、年神様の棚を吊る家はほとんど見られなくなった。しかし、昭和四十年代くらいまでは、日本の各地で年神様の棚を吊った家を実際に見ることができたのである。古い由緒を大切にしている旧家では、いまでもそんなしきたりを伝えている例が、さがせばまだ見つかるかもしれない。
(中略)
 江戸時代になると、江戸、京、大坂の三都など都市部から地方の知識層の間に『大雑書(おおざつしよ)』など各種の陰陽道書や暦書の知識が普及し、年神には歳徳神という神格が与えられ、よい運気をもたらす神様と考えられるようになった。そして、その年によって変わる歳徳神のいる方角を、恵方とか明の方(あきのかた)といい、正月にはその縁起のよい方角から歳徳神がやってくるものと考えられた。
 しかし江戸時代の中後期頃からは町方などで、歳徳神の来訪を待つだけでなく、むしろ人びとのほうからその恵方の方角にある社寺に参詣することが流行するようになった。それを恵方参りなどといったが、この恵方参りは必ずしも元日に行なわれるものではなかった。
 文化年間(一八〇四〜一八年)に全国各地の知識層に向けてそれぞれの地域の風俗や習慣について「諸国風俗問状」というアンケート調査を行なった幕府の儒官、屋代弘賢の質問項目にはまだ初詣の項目はなく、恵方参りの項目がある。その返答によると、当時は地方ではまだ恵方参りはあまり一般的ではなく、むしろ三が日を過ぎて松の内に氏神様や鎮守社、檀那寺にめいめいが自由に参るというかたちがふつうであった。(新谷尚紀『日本人の春夏秋冬』)

   引用者註:屋代弘賢、通称太郎、号輪池。「幕府の儒官」とあるが、彼は文政元年の武鑑に御奥御右筆所詰御勘定格とあって儒官ではない。文化元年、支配勘定格(御目見以下=御家人)から勘定格(御目見以上=旗本)に出世。111「太郎稲荷」にも名が出て来たように大田南畝とも親しく、また曲亭馬琴とは頻繁に本の貸し借りをしている。ちなみに「太郎稲荷」で触れたように大田南畝は御徒から支配勘定に出世したが、ついに旗本にはなれなかった。

 昔はどこの家でも作ったという歳徳棚の図を「目で見る江戸・明治百科」からあげる。下半分は魚市場初売の燈の図である。
画像

 恵方というのは、歳徳神のやって来る方角で、その年の十干によって決まった。十干とは木火土金水の五行を兄(え)弟(と)にわけたもの。すなわち木の兄(きのえ甲)木の弟(きのと乙)火の兄(ひのえ丙)火の弟(ひのと丁)土の兄(つちのえ戊)土の弟(つちのと己)金の兄(かのえ庚)金の弟(かのと辛)水の兄(みずのえ壬)水の弟(みずのと癸)である。木は春・東、火は夏・南、金は秋・西、水は冬・北へ配当した。土は季節では四分割して春夏秋冬の間に置き、方角は中央として東西南北には配当しない。
暦に兄方(えほう)といふことを、世に恵方と書は、恵をうくる方と心得たるにや。然らず。甲丙庚壬等の方にあたれば、兄(え)弟(と)の兄(え)なり。甲乙をもて兄弟とするなり。此くりやうは。
    甲己歳は甲方 寅卯間
    乙庚歳は庚方 申酉間
    丙辛歳は丙方 巳午間
    丁壬歳は壬方 亥子間
    戊癸歳は丙方
 以上は故人小西梁山話なり。(伴蒿蹊『閑田耕筆』享和元年1801刊)

  土(戊・つちのえ)は方角に配当されないため、その母(火生土)である火と同じく丙にしている。暦に載っているのでどう決まるかなど知らなくてもよかった。嘉永五年の暦のはじめの部分をあげる。この年は壬子(みずのえね)である。
画像

  ほぼ中央の「三鏡宝珠形」の下に
   としとくあきの方
   いねの間万よし
とあり、下に方角の図がある。亥と子の間に壬があり「あきの方」と書かれている。
方角について簡単に紹介すると、子を真北とし十二等分して東廻りに十二支をあてる。さらにそれぞれを二等分する(15度づつ24等分)。丑と寅の間を「うしとら」と呼び「艮」の字をあてる。同様に辰と巳の間は「たつみ」で巽、未と申の間は「ひつじさる」で坤、戌と亥の間は「いぬい」で乾である。残りの8方角は五行から土を除いた木火金水の兄弟(えと)を東南西北にそれぞれあてている。下に方角図をあげる。
画像

  ちなみにこの年は二月に閏月があり、一年は384日である。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
落語の中の言葉161「恵方参り」 落語大好き/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる