落語大好き

アクセスカウンタ

zoom RSS 気になる言葉4「雪やこんこ」

<<   作成日時 : 2017/01/20 21:09   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 子供の頃「雪やこんこん、霰やこんこん」と、唄っていたように思う。文部省唱歌の「雪」が「雪やこんこ、霰やこんこ」であることは後で知った。しかし「雪やこんこん、霰やこんこん」という言葉自体は、この唱歌ができるずっと前から「雪やこんこ」「雪やこうこう」とともに使われていた。

 『嬉遊笑覧』と『日本国語大辞典』に載っている例を挙げると、

 雪やこんこ、あられやこんこ、お寺の柿の木にふれやつもれ、こんこ (『一休咄』巻之下) 一休宗純1394〜1481

 (前略)わらはべにて侍りしをり、親たちの制し給ふも聞きいれずして、雪こうこうと庭に出つゝ、そぼれあそべりし云々 (『嘉多言』慶安三年1650)

 雪こんこんや、丸雪(あられ)こんこんと、小妻(こづま、小褄)に溜(ため)て。里の小娘、嵐の松陰に集り。脇(わき)明(あけ)の寒けき事は厭(いとは)ず、夕暮を惜(をしむ)所へ。(井原西鶴『本朝二十不孝』巻二 貞享四年1687)

 文部省唱歌「雪」はこれらのなかから「こんこ」を採用したにすぎない。

 ところで雨がシトシト降る、ザーザー降るというのは雨が降る様子を形容したものとわかるが、「こんこ」にしても「こんこん」にしても雪や霰の降る様子を表したものとは思えない。どういう意味なのであろうか。辞書によると
ゆきや=こんこん〔=こんこ・=こうこう〕
(「こんこん」は「来ん来ん」で、雪よもっと降れの意)雪が降るとき、小児がそれを喜んではやしうたう語句。雪こんこん。(『日本国語大辞典』)

(「こんこん」は「来む来む」で、降れ降れの意)雪がもっと降るように子供がはやしたてる時のことば。(『広辞苑』)
とある。
  しかし「来ん(む)来ん(む)」では「もっと降れ」の意味にはならない。「む(ん)」は、推量、あるいは希望期待の助動詞で、来るだろう、来てほしいの意であって「来い」の意味ではない。来(く)の命令形は「こ」のちには「こよ」である。
「来よ来よ」から「こんこん」あるいは「来よ来」から「こんこ」に成ったという考え方もあるが「来よ来よ」あるいは「来よ来」と使われた例があるのかどうか。
 言葉が訛るについては、二つの傾向があるのではなかろうか。一つは意味の分かりにくい言葉ほど訛り易い、二つには言い易い方に変化する。「こんこ」と「こんこん」を比べれば「こんこん」の方が云いやすい。文部省唱歌の「雪」が「こんこ」であるのに「こんこん」と唄っていたのも「こんこん」の方が唄いやすいからであろう。したがって「こんこ」から「こんこん」に変化することはあってもその逆は考えにくい。
むしろ「雪や来(こ)、来」→「雪やこ─こ」→「雪やこうこ」→「雪やこうこう」、さらに「う」が「ん」に変わったなら可能性はありそうである。
 しかし、そもそも雪や霰に「来い」と云うであろうか。もっと昔はやはり「降れ降れ」と囃していた。

「『降れ降れ粉雪、たんばの粉雪』といふ事、米搗き篩(ふる)ひたるに似たれば、粉雪といふ。『たンまれ粉雪』と言ふべきを、誤りて『たんばの』とは言ふなり。『垣や木の股に』と謡ふべし」と、或物知り申しき。
 昔より言ひける事にや。鳥羽院幼くおはしまして、雪の降るにかく仰せられける由、讃岐典侍が日記に書きたり。(『徒然草』第百八十一段 十四世紀前半か)


岩波文庫『新訂徒然草』(西尾実・安良岡康作校注)の註に引用された讃岐典侍が日記
讃岐典侍は堀川天皇に仕え、天皇崩御後は、鳥羽天皇に仕えた。

(讃岐典侍は)天仁元年(一一〇八)正月一日に出仕し、翌朝の雪に、「(前略)『降れ降れこゆき』と、いはけなき御けはひにて仰せらるゝ聞ゆる。『こは誰そ。誰が子にか』と思ふ程に、まことにさぞかし。思ふにあさましく、これを主とうち頼み参らせてさぶらはんずるかと、頼もしげなきぞあはれなる」。

 鳥羽院は前年、父堀川院崩御あって、五歳で皇位を継ぐ。天仁元年六歳。

 子供達のはやし詞を「雪やこん霰やこん」と思っている(聞いている)人もある。
子供がはやす詞が「雪やこんご霰やこんご」だというのは初耳である。ただ昔の仮名表記は濁点を付けないことも普通であったから「こんこ」と仮名で書かれていてもそれが「コンコ」なのか「コンゴ」なのかは分からない。
これは「舎利幷バサル」について述べたなかに出て来るもので、仏者は舎利を釈迦の骨として珍重するが、舎利は骨ではなく本草綱目にある鮓答と同じものだと述べているところにある。鮓答というのは今日いうところの体内結石のことである。

さとう〔鮓荅・鮓答〕(名)馬牛豚などの胆石。また腸内に生じた結石。解毒剤として珍重され、また雨乞いのまじないとして用いられた。午黄(ごおう)。馬の玉。ヘイサラバサラ。ドウサラバサラ。さくとう。(『日本国語大辞典』)


 難しい文であるが原文をあげる。

是は獣畜魚介にも多あるものにて、実は病癖の擬(コリ)竭(カタマリ)たる物なり。獣畜にある者は、本草綱目に載(ノセ)たる鮓答(サクタフ)なり、其色白黒黄赤ありて一様ならず、人にある者は、火焼する故に、多(く)は瑩白なり。狗にあるを狗宝といひ、猿にあるを猿棗といひ、猪(ヰ)にあるを猪靨といふ。其中馬に多ある者なり。至て大なるは毬鞠(マリ)のごとく、小なるは木槵子(ツブ)のごとし。其形も一様ならず。或は三角、或は扁(ヒラタク)種々あり。正円(マロキ)なる者は腹中にたゞ一塊ある故なり。(中略)
鮓答(サクタフ)の訓ヘイサラバサラといふは、蛮名なりといひ伝れど、是は訳(ワケ)のある名なり。陶宗儀が輟耕録に、蒙古人禱雨、惟以浄水一盆、浸石子数枚、淘漉玩弄密持咒語、良久輒雨、石子名鮓答とあり。梵語のヘイサラダ、バサラタ。といふを翻訳すれば、雨金剛、雪金剛となる、毎年雪降時に、小童(ワラベ)の悦(ヨロコビ)て雪やこんご霰やこんごと唱(トナフル)は、雨雪金剛をいふ詞にて、雨を祈(イノル)に此物を用る故なり。名義抄に、金剛石、梵語跋折羅(バサラ)とあれば蛮名ならず。雨を祈(イノル)に唱梵語より出たる名なり。(以下略)(茅原定『茅窻漫録』上之巻 文政十二年1828自序)

 また小宮山楓軒が輟耕録の記述について佐藤平三郎に尋ねると次のように答えたという。
答云、輟耕録ノ説ハ天竺仏経ノ説ナリ。鮓荅俗ニヘイサラバサラト云ハ、訛称ニテ、把雑爾(ハサル)ノ誤ナリ。坤輿外記曰、渤泥国有獣名把雑爾。似羊鹿、腹内生石、療百病、極貴重至百換、国王籍為利。〔割註〕織方(〈職カ〉)外記ノ説少不同アリ。」ト、コレ石ノ名ニハアラズ。仏経ニハ兵婆羅陀婆娑陀卜云フ。是レ雨ヲ祈ル時ノ祝語ニテ翻訳シテハ乞雨乞雨ト云意ナリ。輟耕録ニ祝語アリトハ、コノ乞雨ノ語ナリ。(『楓軒偶記』文化四年1807自序)

 茅原定は「ヘイサラダ、バサラタ」といい、佐藤平三郎は「兵婆羅陀婆娑陀」と少し違っているが、この言葉は鮓答を使って雨を祈るときの咒語だという点は同じである。そして梵語のバサラは中国では金剛と訳されている。

伐折羅ばさら 〈ばざら〉ともよみ、〈跋折羅〉〈伐闍羅〉などとも表記する。
@金剛と漢訳し、金剛石の意、転じて金剛杵、堅固不壊の智恵をも意味する。
A薬師如来を守護する十二神将の一。伐折羅大将という。わが国では十二神将を昼夜十二時の守護神に配することがあるが、伐折羅大将はその第二として丑の時に配される。
B伐折羅大将の降魔の忿怒相が極めて異相であることから〈ばさら〉は、奔放で、きわ立って異様なさまを意味する語となった。(以下略)(『岩波仏教辞典』)


因みに「舎利」について、同じく『岩波仏教辞典』には次のように書かれている。
舎利 サンスクリット語〔sarira〕に相当する音写で、〈設利羅せつりら〉とも音写する。一般に、骨組・構成要素・身体を意味する。これが複数形でsariraniとなると、遺骨、特に仏・聖者の〈遺骨〉の意味で用いられることがある。その意味での舎利を崇拝・供養することが、舎利塔を建立するなどの形で、古来アジア諸国で広く行われているが、実際は、舎利を象徴する水晶など他のもので代用されることが多い。中国でも、舎利供養の功徳が重視され、祈願すると五色に輝く舎利が得られたのでこれを祀ったといった記述が六朝初期から見られるほか、高僧を荼毘に付したところ舎利が得られたので塔を立てて祀ったとする例や、生前の高僧の目から舎利がこぼれ落ちたなどとする話が多い。特に得道の禅師を仏と同一視する禅宗では、舎利に関する奇蹟が歓迎された。

  高僧でなくても或いは大悪人であっても火葬すれば骨は残るであるから「高僧を荼毘に付したところ舎利が得られたので塔を立てて祀った」とすれば舎利は骨でないことになる。

 雪やこんこに戻ろう。
 子供の遊び歌や唱え言葉には意味不明なものも多い。意味が分からずに歌っているために訛ることも多いからであろう。「かごめかごめ」「ずいずいずっころばし」等々。これはなにも子供に限らない。大人の使う言葉にもある。かつて採りあげたものに、「さんげさんげ六こんざいしょう、おしめにはつだい……」(10「大山詣り」)、「ちちんぷいぷいごよのおんたから」(43「火傷の呪い」)がある。

 十二世紀はじめ頃は「降れ降れ粉雪、たンまれ粉雪、垣や木の股に」と唄われていたものがその後「雪やこんこ、あられやこんこ、お寺の柿木にふれやつもれ、こんこ」となっている。ここで注目するのは「垣や木の股に」が「お寺の柿木に」と変わっていることである。
 日本の代表的自然童謡(自然発生的に生れ出た唄)を集めた町田嘉章・浅野建二編『わらべうた』(岩波文庫1962年)には「霰やコンコン」「雪コンコン」「雨コンコン」などいくつも載っている。そのなかに次のものがある。

雪やコーンコン 霰やコーンコン 
お寺の柿の木に 一ぱいつーもれ コーンコン 〔京都〕
雪の唄としては恐らく最も普遍的なものであろう。全国に分布。(以下略)

「雪やコーンコン 霰やコーンコン」については
「雪やコンコン、霰やコンコン」とも、とある。
「お寺の柿の木に」については
地方により種々に変化。「お寺の柿の木に」(岩手・宮城・愛知・長野・石川・福井・京都・兵庫・岡山・高知・福岡)。「背戸の柿の木に」(石川)。「お寺の梨の木に」(宮城・長野・新潟)。「お寺の茶の木に」(東北・茨城・栃木・千葉・東京・静岡)。「お寺の松の木に」(宮城・新潟・京都)。「お寺の銀杏の木に」(熊本)。「お寺の山椒の木に」(新潟・宮崎・鹿児島)。

  ここに揚げられた例では、地方によって木の種類は様々に変わっているが、石川の「背戸の柿の木に」以外はすべて「お寺の」である。

 「降れ降れ粉雪」から「雪やコンコ(コンコン)」への変化には僧が関係しているのではなかろうか。中国で「バサラ」を「金剛」と翻訳したのは梵語の仏教経典であることを考えると、茅原定が子供の唄うのを「雪やこんご霰やこんご」と聞いたことを単なる聞き違えとして片付けてしまえないようにも思うのであるが。

*追補 舎利
奇談等を集めた『新著聞集』(寛延二年1749刊)に舎利に関するものがいくつか存在するので紹介する。
○幡随和尚
熊野へ赴きたまひて、則ち七日こもりて法施したまひけるに、第七日、命おはりたまひしを、随侍の大通法師、火葬になしけるが。骨はすこしもなくて、平生所持の念珠、煥爛とてりかゞやける。舎利となりて、つなぎながらに火中より出ければ、これを江戸へ守り奉て、今幡随院の重宝にてぞありけり。
○順西法師
ある時、順西が左りの耳、俄に聾(みゝしひ)て、良ありて頻りに鳴しとて扣きけれど、何やらん、物の出たりしを見しに、小さき臥形の仏像に似たる舎利にておはしき。
○了学上人
三縁山増上寺了学上人は、寛永十一年正月十五日、念仏三昧にして、臨終したまふ。荼毘の後に、身骨悉く舎利となり、手に掛させたまふ水晶の珠数、五色燦然として、さながら又舎利となりし。
○空山和尚
我は今日往生するなりとて、其間に仏前を荘厳し、香花燈明をそなへ、徐かに行水したまひ、僕に向て、今臨終の念仏を初むるぞ。汝うしろに有て助音せよ。若わがこゑ弱るとも、汝高声にとなふべし。回向の文おはりなば、十念を授なん。汝慥に受べしと契約し、善導の発願文を誦し、光明遍照の偈をとなへ、高声念仏体をせめて、願以此功徳の文高らかに誦し了り、念仏第七遍めに、晏然として息たへぬ。火葬の後、骨は舎利となり、灰は紫色になりし。寛文十一年五月十一日也。世寿七十歳とかや。
○珂軟和尚
病気殊に重かりける時、ある人に告ていはく、我十六の歳より。聊かねがふ事あり、若我所願成就して、此たび決定往生せば、火葬の時、臭気すこしもなかるまじ。若さもあらば、いよいよ信をおこすべしとて、念仏懈怠なくして、臨終せられける。荼毘の時、件の詞にすこしも違はず。えもいへぬ、めでたき香のみして、遺骨もみな悉く舎利とならせたまふ。
○壇通和尚
かまくら光明寺壇通和尚、命終におよび、大衆をめされ、我只今臨終なり。同音に念仏せよとありしかば、数百人の学徒、こゑを限りに申せし間に、息おはらせたまふ。山上にて火葬せしに、異香自然に薫じわたりて、遺骨ことごとく舎利となり。念珠も五六十粒ばかり、光を放ちけるとなり。


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
気になる言葉4「雪やこんこ」 落語大好き/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる