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zoom RSS 落語の中の言葉167「船宿」

<<   作成日時 : 2017/05/20 21:33   >>

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         「船徳」より

 勘当された若旦那徳さんが居候をしている船宿、江戸幕末の様子は次のようであった。

 江戸船宿 堀江町・柳橋辺・日本橋・江戸橋・山(さん)谷(や)川岸。
 各十余戸あるひは二十余戸、軒を比する者多し。その他諸川岸に散在する者、その数挙げて知るべからず(文化中六百余戸あり)。皆川船宿にて、荷船宿もあれども十ヶ一にて、その九は川遊び船を専らとし、各小戸なれども洒掃(さいそう)を精(こま)かく、屋造り奇麗を専らとし、男女の密会をなし、あるひは客の求めに応じ宴席を兼ね、また青楼娼家に引手と号(まづ)け導くことをなす。深川等の遊里盛なる時は、その遊客遊女を乗するにより、はなはだ繁多なりしが、遊里廃止の後はなはだ衰へたり。また遊参のみにもあらず。当所は地広く、特に人心活達なるが故に、市中といへども遠路に往くには、舟駕を用ふることしばしばなり。雨中の他行等にはいよいよ多し。 (『守貞謾稿』巻之五)

 「男女の密会をなし、あるひは客の求めに応じ宴席を兼ね」とあるが、これは特別な場合であろう。同書巻之二十一には
天保前より今に至り、船宿にては出合を兼ぬることなり。しかれども得意の客にあらざれば、これを許さず。勿論、昔も今も船宿にて密会は私制なり。故に近年は特に得意の人のみ。得意客にも他客ある時は、これを許さざるなり。

 とある。また洒落本『玉之帳(内題「玉の幉」)』ではツケがたまって茶屋を使えない色客と深川の女郎がなじみの船宿で会っている。

 『絵本江戸風俗往来』には船宿はどこもつくりはほぼ同じで広くもないとある。

 この頃船宿の軒をつらね繁昌せるは、日本橋西河岸・鞘町河岸・江戸橋・堀江町・伊勢町・新橋・汐留・小網町・神田川・牛込・浅草川・両国・柳橋・米沢町・向両国・本所一ッ目辺・鉄砲洲・霊巌島・深川その外諸所なり。
 船宿抱えの舟(せん)人(どう)なる者、実に江戸ッ子の勇める者好みて舟人となる者多し。船宿というは、屋形船・屋根船・荷(に)足(たり)などいう船を河岸につなぎ、客の約束に従い漕ぎ出すなり。船宿は室房(ざしき)のつくり何れの船宿も皆同じ。余り手広からざるは、客の少しの間待ち合せに用いて、飲食などなしける所にあらざればなり。船宿皆表かかりの同じきは、出窓に格子を入れ、その脇入口にして、看板に行燈を出し、行燈には持船屋形の船名をしるせり。家内の間取りは何れの船宿も同じ作りにて、大小の差あるまでとす。台所の竈(へつつい)、座敷の横火鉢ならびに掃除の清きは、この業の得色というべし。(『絵本江戸風俗往来』)

  深川江戸資料館に復元されている船宿(一階のみ)の図を揚げる。
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 船宿は茶屋と同様に客の着替えの場所であったり、客や女郎の手紙の仲介もしていた。
    舟宿へ内のりちぎをぬいで行     誹風柳多留初篇
    舟宿で化けやれと師ののたまわく   誹風柳多留三篇
    文壱本でも一艘と付るなり       誹風柳多留十篇

 船宿の経営は女将さんが中心となっていたようである。

 また船宿といふもの河岸にありて、屋形船・小屋形船・屋根船などいへるを浮かめて、奢る人の川涼みの遊所の送り迎へなどいたし、水主(かこ)を数人抱へ置き、その身は船漕ぎの業をもせず、小袖を着て客人に付き添ひ、遊所へ参り、太鼓持の如く諸事の欠(かけ)引(ひき)なして金銀を貰ひ、また我が亭もかの料理茶屋の如く二階座敷など拵へ、船頭の宿に似合はざる造作を致し、床・違棚などありて当世流行の詩人・画人の書ける軸物を懸け、あるいは炉を切り風呂を据ゑ、薄茶の立(たて)前(まえ)など設け、または客の送り迎へとして遊女・遊芸者など付き添ひ来たる時は、酒宴を致させ、その上密会を致させ座敷料を取るなり。(以下略)(『世事見聞録』文化十三年1816)

  奥医師(蘭医)桂川甫周の娘は幕末の船宿のおかみさんについて次のように話している。
両国橋のまわりをとりかこんで、船やどが五、六軒ありました。桝田屋という船やどのおかみさんは、器量は格別いいとも思いませんでしたが、やさしく親切で元気な四十前後のおもしろいおかみさん、話しながら手真似をして踊をおどったりしました。船宿にはまた大勢の男がいて、どれが亭主だか子ども心にはわかりませんでしたが、何しろおかみさんが大ぐくりに締めくくっていたらしく見えました。船そのものはむろんだし、それにかんけいの芸者やたべものにいたるまで、屋根船で遊ぶ人にたいして一切の責任をもっていたのでしょう。ああ言うとこのおかみさんはちえがあってやさしく、依怙(えこ)ひいきがなくて誰にでもよくしました。そう言う風にできているのでしょうが、とにかくあの社会でも人格がなければおかみさんはつとまらないのでしょう。なりも地味でした。ふだんは黒襟にはんてん着で、御邸へ出るようなときなどは、つつしんで羽織をきていました。(今泉みね『名ごりの夢』)

  船宿のおかみは客を送り出す時には、みよしを押し出すようにするのが例となっていたようである。この咄には出てこないが、「夢金」ではごきげんようと舳(みよし)に手を掛けて突き出すようにするのは何の多足にもならないが愛嬌のあるものと語られている。
コレ平や、あなた方は柳はしまでめすのだから。お上ケ申したらすぐに。代地へ此文をとゞけてくりや。わすれめへヨと状さしから取ッて渡す。そこりでごさりますから。大さんはしからめしまし。きのふのふりですへりますから。おきをお付なさりましさやうなら御きげんよふといふとき。みよしをぐつとつき出すなり (山東京伝「客衆肝(きも)照子(かがみ)」天明六年1786 刊)

    舟宿の女房ふかみへついとつき   誹風柳多留八篇

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 ちなみに客は舟のみよしの方から乗り降りしたようである。ちょき船にしろ屋根船にしろ小さいものであるから、舷側に近い所に体重をかけると船は傾いて危険である。船の中心に近い所から乗り降りするには着物であるからみよしの方が適している。その様子が分かる浮世絵を揚げる。広重の「江戸高名会亭尽」は芸者が屋根船に乗り込むところで、一人は既に乗っている。みよしの近くには乗り降りする際に使うためであろう板が取付けられている。舫(もや)い綱もある。履物もみよし近くに置かれている。

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清長「吾妻橋下の涼船」(上図)の手前はちょき船、奥は屋根船である。国芳の「両国納涼花火」(下図)の方がはっきりしている。舫い綱も見える。女将さんは挨拶をしながらみよしに手を掛けるのであるから、普通は客と対面している。舟はバックで桟橋を離れるのであろう。
 そう思っていたが、国立歴史民俗博物館の江戸橋・日本橋復元模型では船宿の舟は艫(とも)を陸に向けて舫ってある。江戸名所図会の挿絵(柳橋・両国橋の図の一部)を見ると区々である。具体的なことになると分からないことが多い。

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 ところで船宿は御用船を出すのが第一で(たまにしかない)、それ以外の時は自由に貸し船業をいていいことになっていた。屋根船(正式には日除船)は障子を立てられるようにできており、役所の指示に従って二挺艪にも三挺艪にもして出すが、貸し船の場合には障子も立てず艪も一挺だけである。船を造るには、川舟役所に申請して許可を受けなければならず、許可を受けると証文を提出し、船が出来れば極印を受けた。
70「屋根船」のとき紹介した証文の雛形を再度あげる。


   差上申証文之事
              何町何丁目誰店
 新造日除船壱艘         船主   誰
右は此度新規造立御役舟、常は貸舟稼仕度奉願候ニ付、被仰渡候は右船戸障子共常々不苦敷候様致置、昼夜ニ不限、御用船申付次第、戸障子入舟道具等入念改、水主艪数共差図之通立之、着場刻限役舟会所より申付候趣、間違無之様致、諸事大切ニ御用船可相勤候、但右之船常は戸障子取払、竹簾懸艪壱挺立貸船稼候義は勝手次第ニ候、御用之外戸障子入艪数立候義堅致間敷候、若隠忍、右之品相背候ニおいゐては、見付次第船取上ケ急度可申付候右之趣致得心候ハヽ願之通可被仰付旨、委細奉承知候、被仰渡候品相守可申候間、願之通被仰付可被下候、若右之品相背候ハヽ如ケ様ニも可被仰付旨申上候ニ付、日除舟所持被仰付難有奉存候、右之船造立次第御極印可奉請候、為後日証文差上申候、仍如件
年月日
             何町何丁目誰店
                舟主  誰印
                家主 誰印
右之通吟味仕候処、相違無御座候
                名主  誰印
 川舟御役所  (『江戸町触集成』第七巻)


そして廃船の際には極印を返上した。


   差上申御極印證之事
一、御極印年貢長銭百五拾文  茶船一艘
右之船古ク相成用立不申候ニ付、御極印三ケ所切抜、今亥年御年貢役銀御上納、御手形共相添差上申候、御帳面御除被 遊可被下候、空船之儀ハ潰シ下水関板等ニ遣ひ申候処相違無御座候、若船形ニ而差置申候へば何様之曲事ニ而も可 被仰付候、為後日加判證文差上申処、仍如件、
              呉服町誰店
  年号月日        船 主 松 五 郎
                五人組 弥 兵 衛
                名 主 三 郎 次
 川船御役所   (呉服町書役小沢半助の手記『三十三ヶ条案文』)


証文中にあるように船には年貢と役銀が掛かった。

一屋形舟幷川船之義は、都而大小ニ不拘、舟梁ゟ船梁之立間を落間と申、此長短ニ而御年貢御 役銀甲乙御座候、尤凡落間三尋位ゟ八尋位迄ニ御座候、御年貢丁銭百文ニ付御役銀六匁八分 八厘五毛ッヽ上納仕候

茶舟
一御年貢丁銭百五拾文
    落間三尋三尺ゟ四尋迄
    御役銀拾匁三分余
     但、此舟以下は何程之小舟ニ而も御年貢役銀減少は無之候

一同長銭弐百文
    落間凡四尋壱尺迄
    御役銀拾三匁七分余 (以下略)(『江戸町触集成』第七巻)

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