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zoom RSS 「吉原弁才天」

<<   作成日時 : 2018/01/04 09:47  

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 元旦に浅草観音へ初詣に出かけました。その際ちょっと足をのばして吉原弁才天へも参詣しました。吉原弁才天について、『上野・浅草 歴史散歩』(平成十五年台東区発行)には
明暦三年(1657)の大火後、幕府の命により湿地の一部を埋め立てて日本橋の吉原遊郭が移された。遊郭造成の際、池の一部が残り池畔に弁才天が祀られ遊郭楼主たちの信仰をあつめた。現在は浅草七福神の一社として毎年お正月に多くの参拝者が訪れる。
  と書かれています。
 子どもの頃はまだ大きな池があって、魚を釣ったりトンボを捕ったりした所です。弁才天の祠は池のほとりにありました。その後池は埋め立てられ電話局になっています。現在は敷地も随分狭くなり無人で参拝客もなくひっそりしていました。ところがすぐ近くに吉原神社があり、その前にも「吉原弁才天」という幟がいくつも並んでいました。こちらには神札・朱印を授与する小屋があり、七福神巡りの人でしょうか何人か参拝者もありました。しかし吉原神社は江戸時代に新吉原にあった九郎助稲荷などいくつかの稲荷を合祀して新たに建てた稲荷神社だと聞いています。小学生の頃には小さな社殿があるだけで無人で、石の狐も立っていたように思います(記憶は曖昧)。すぐ近くに江戸以来の吉原弁才天があるのに、稲荷を祀る吉原神社が弁才天を祀る浅草七福神の一つになっているのが不思議でした。帰宅した後、インターネットで「吉原神社」を検索すると吉原神社のホームページがあり、それによると次のようなことでした。
 江戸時代五十間道にあった吉徳稲荷と新吉原の四隅に祀られていた九郎助・榎本・明石(赤石)・開運の四つの稲荷、合わせて五社を明治五年に合祀して吉徳稲荷の旧地に作られたのが吉原神社だとあります。やはり稲荷を祀る神社でした。それが関東大震災で焼失し、仮社殿を旧水戸尻の辺に建てたものを昭和九年現在地(旧大門から真っ直ぐ伸びる中之町の突き当たり、お歯黒どぶの向こう側に当たる)に再建する際に近くにあった吉原弁才天も合祀したとのことです。
 合祀しても吉原弁才天はそのまま残っており、吉原神社ではこれを本宮と呼んでいます。吉原神社に神職はいないようで、お祓いは予約が必要で電話予約の先は千束稲荷神社になっています。千束稲荷神社は大分離れていて三ノ輪から入谷に向かう昭和通りの三ノ輪に近い一本うちに入った所にある古い神社です
 現在は吉原神社が弁才天を祀る浅草七福神の一つになっています。
参考までに下に地図を載せます。20年程前の古い地図ですが三つの神社(オレンジ色で囲う)の位置関係を示すためのものです。青色はお歯黒どぶの在った場所です。
画像

 ちなみに江戸で七福神参りが盛んになったのは江戸後期からのようです。
近頃正月初出に七福神参りといふ事始りて、遊人多く参詣する事となれり、その七福神は不忍の弁才天、谷中感応寺の毘沙門、同所長安寺の寿老人、日暮の里青雲寺の恵比須、大黒、布袋、田畑西行庵の福禄神等也、近頃年々にて福神詣する人多くなれり云々(『享和雑記』享和三年1803序)
  それに刺激されていくつもの七福神参りがつくられています。
正月 日不定 七福神参り。大国神・愛比寿(神田社地、あるいは上野清水堂の傍ら)。弁天(不忍池中)。毘沙門(谷中天王寺)。寿老人(同所裏門前長安禅寺)。布袋(日暮里)。福禄寿(田端西行庵)。あるいは寿老人を除きて、上野大仏の前吉祥天祠へ詣づるあり。
 また山の手七福神参り。○毘沙門、二本榎細川侯やしき前。○布袋、白金瑞聖寺天王殿。○寿老人、○福禄寿、白金妙円寺妙見堂の内。○弁天、目黒蟠竜寺窟(いわや)。○愛比寿、○大黒、目黒不動尊境内。(『東都歳事記』巻之一春之部 天保九年1838)
 東京の七福神めぐりでもっとも早かったのは谷中七福神である。一説には江戸初期に始まるというが、広く流行するのは江戸中期以後である。上野不忍池の弁天堂から谷中・西日暮里、そして田端の東覚寺へといたる間、戦災で焼けなかった地域が点在し、大正・昭和の初めのたたずまいに接することができる。
 この谷中七福神にならって、向島百花園で酒を酌みかわしていた谷文晁・大田南畝・酒井抱一らの文人墨客が、文化・文政ごろ(一八〇四〜三〇)創案したのが、隅田川(向島)七福神である。(『東京歳時記』第4巻冬 1988刊)
  浅草七福神は、これらと比べごく新しいものです。
 浅草七福神めぐりが、浅草寺以北の九社寺によって、昭和五十二年(一九七七)一月から復活した。この七福神は、関東大震災以後、浅草復興の一つとしてコースがつくられたが、戦争で中断していたわけである。浅草寺(浅草二ノ三ノ一)の大黒天、浅草神社(浅草二ノ三ノ一)の恵比寿、待乳山聖天(浅草七ノ四ノ一)の毘沙門天、今戸神社(今戸一ノ五ノ二二)の福禄寿、橋場不動院(橋場二ノ一四ノ一九)の布袋、石浜神社(荒川区南千住三ノ三八ノ一)の寿老人、鷲神社(千束三ノ一八ノ七)の寿老人、吉原神社(干束三ノ二○ノ二)の弁財天、矢先神社(松が谷二ノ一四ノ一)の福禄寿がそうで、七福神なのに今回九社寺になったのは、七変じて九となす、九は鳩となり、集合を意味し、また天地の至数、陽を表わすの、めでたい故事にもならったという。そのあたりにも、江戸のにおいがただようように思われるのである。(台東区立下町風俗資料館編『台東区の歴史散歩』昭和五八年1983刊)
   新しいといっても「浅草七福神参り」のコースが作られたのが新しいのであって、それぞれの寺社は多くが江戸時代、あるいは江戸時代前からある古い寺社です。

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