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zoom RSS 落語の中の言葉182「間夫」

<<   作成日時 : 2018/06/10 19:51  

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 落語にはよく「間夫」という言葉が出て来る。多くの客の中で遊女が勤めを離れて真に惚れたたった一人の客というような意味で使われているようである。「宿屋の富」にも自腹を切って男を遊ばせる遊女の話がある。

辞書を引くと
まぶ〔間夫〕娼妓の情夫。(『江戸語大辞典』)

まぶ〔間夫・真夫〕名 @遊女の情人。遊女が心情を捧げる男。A(ーする)遊女が、情夫を持つこと。また情夫に会うこと。B一般の男女についてもいう。(『日本国語大辞典』)

まぶ 名 間夫 (一)ミソカヲ。カクシヲトコ。マヲトコ。情夫。(二)古クハ、金ニナル客ノ称。転ジテ、遊女ノ情人。(三)手管ノ異名。(『大源海』)

『日本国語大辞典』のBや『大源海』(一)のように「間男」をも間夫と呼んでいる例もある。
『吉原徒然草』九十三段
ある女、定れるおつとを嫌ふて、間夫を持事有。間夫をいとおしみ、実の夫に気をかへむかふ。云々

一、間夫と客色・地色
 多くは「遊女の情人」を「間夫」と呼んでいる。同様な意味の言葉に「いろ(色)」というのがある。遊女の場合、相手が客であるかどうかで、客色(色客)、地色と区別している。この区別でいうと、「間夫」と客色・地色の関係は一定していない。

 @地色を「間夫」とする例
真夫(まぶ) 此名目、金山詞より出たりといへど、さにはあらず、表向の買手にあらずして、密通する男をいふ、真実におもふ夫といふ事なり、表向の知音は、商売の為のみにして、心にあふもあり、あはぬもあり、真夫は、利欲にかゝはらず、女郎のたのしみにあふ事なれば、真実に好まずしてはあふ事なし、(畠山箕山『色道大鏡』 箕山は宝永元年1704歿)

又今の間夫といふ者を見るに。多くは金のない族(やから)が遊びたいには金はなし。人を頼み文を付るに。遊女は禿の時に姉女郎の手練を取持た癖がうせねば。ふはと乗つて。やり手や傍輩の目をしのび。今宵の客ははやく帰るの。今夜はどの客のぶんで仕廻(しまふ)て。どこへ出て待てゐるとしらせるを。間夫めが人の大切なうり物を。金をも出さず盗みながら。可愛そふに知れると繩目にも及びて恥をかくを覚悟で。心遣(づかい)をするに文のかきやうが気に入らぬ。呼(よび)によこしやうが悪いといぢりをる。是らは人の金銀衣類を盗むも同じやうな盗なるを。粋(すい)じや色仕(いろし)じやの。通者(とをりもの)じやのといふは。ふとい事といふものなり。(『風俗八色談』五之巻 宝暦六年1709刊)

間夫は勤のうさ晴しとはいへど。男の目からはおかしな物ニて。飽はてた同じ事をして。間夫に交(あふ)には。はじめて壮(おとこ)に交(あふ)様に。苦患くるしみをして其上。天下晴ての客をば。つとめと号(なづけ)てやりばなしにし。したゝか金も貰(もらい)ながら。隣へ重箱をかした心で。やり付。さあわがゑつに入た事には。色々の手管をし。やりての目をぬき。内の若い者に朋輩女良をとり持てくるめ。其代(かはり)にはたらきの。くゞりの鎰(かぎ)を明てもらい。水道尻裏茶屋。河岸伏見町の茶やで出会と。両方がほれたはかはり番に。茶やも勤(つとむ)れと女郎斗が出して。はだかになるもあり手廻しに向の商人屋を頼めば。二階に畳が二でう敷たばかりで。残りには真木炭だわら。巨燧やぐら炭とり瓢(ふくべ)ざる木鉢(きばち)糸瓜がつるしてあれば。火事草鞋六尺棒何やかや。ごちやごちやして埃(ごみ)だらけの所で会。云々(『ものはなし』巻之中 宝暦六年1756跋)

私夫(まふ)の名は金山の間府(まふ)より出たり。間夫と書べしといふ説あり。又一説に人の妻に淫する者を密夫(みぶ)といふに等し。私夫と書べしといへり。両説孰(いづれ)が是(ぜ)なるや、又私夫を深間といふは、深契間夫の略語なりといへり。されば約束の客まつ間に、夢ばかりなる手枕にうらなき志しをあらはし、客ある座敷をくろめて、佗しき逢瀬に浅からぬ思をつくし、客帰たる古(ふるい)巣にかはる杜鵑(ほととぎす)、いつも初音の心地して、束の間歓会をなすは、誠に名におふ深間(ふかま)なるべし。(『麓の色』明和五年1768刊)

〔客〕(大門へ出る かごへのりしなにあとを見る) 〔茶若二人〕さよなら御きげんよウ 〔客〕(かごの内より)大義大義 〔茶〕コレかごの衆声してやらッしやれ 〔女郎〕(これより間夫へ行) (『廓中奇譚』明和六年1769序)

若い者には見馴れぬ男、その見すぼらしいなりをして、さては唐歌が間夫か。人の上ゲづめにしておく女郎を盗み、またその上に小袖までも持行は大方質草にでもしやうと思ひ、盗人たけだけしいとは此事じや、云々(『会席料理世界も吉原』文政八年1825刊)

  『色道大鏡』が「真夫」という文字を使っているのは「間」という文字を避けたからであろう。「間男」という言葉は正規の夫がありながら夫以外の男と情を交わすことであり、その相手をもさす。遊女は正規の夫をもっていないのであるから「間」の文字を使うのは適当でないと考えたのであろう。

 「まぶをきる」という言葉もある。
 *まぶを切る 遊女が、客に揚げられている時間のうちに、隙をうかがって
   間夫に会う。また、隙をうかがって他の客に接する。横を切る。(『日本
   国語大辞典』)

 *横番 金山詞より出たり、人の入りて掘山筋を、此方より切とるを、横番
   切といふ、是によりて、当道にも人の挙置たる傾城を我物にし、忍びて
   犯すをしかいふ、云々(『色道大鏡』)

勤めの余力あらば私夫(まぶ)をきらすべし。重井筒の書に曰く楽しみ無(のふ)ては勤まらず云々、泉水築山樹木之陰供部屋の片隅(かたかげ)にてきらすべし。

私夫(まぶ)は士農工商のいゑにてたくむ所の蜜夫のことにはあらす、大経師のおさん茂兵衛などは色里のまぶとはいきかたのちがいたる事なり、間夫とも呼、間をきらひていへり(『和国娼家往来』延享1744〜48頃?)
 
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   蜜夫(まぶ)の事
まぶをきらすとは。いとしき男ばかりにあらず。その日のきやくのしゆびさへよくば。たれになりとも御きらせ候へ。身のまゝなる客衆にても。まぶといへばうれしがるものに候へば。なんぞのときやくにたつものにて候(『陽台三略』=『手管仕様帳』(正徳二年1712頃刊)の改竄)

  『和国娼家往来』には「樹木之陰供部屋の片(かた)隅(かげ)にてきらすべし」とあるので遊女の正規の客ででないことは確かである。『陽台三略』には「たれになりとも」といい「身のまゝなる客衆にても」とあって客色地色両方をさすのであろうか。「まぶ」と「まぶをきらす」の「まぶ」は少し違うようである。『色道大鏡』と『ものはなし』の「まぶ」は「真におもふ」ほうに力点が置かれ、「まぶをきる」は正規の客でないことに注目しているように思われる。

 A色客を「間夫」とする例
〽まゝにならぬとあわねはふさぎ逢へはなを気のもめるたねとは二上りの板子(いたこ)なれども其気のもめるのか苦界の楽み、いか程まじなおしよくたりともこの色客の楽みもなくては勤まらぬものぞかし、その又色男きどりにて通ふ客人数(かず)を知らずといへ共客百人に間夫壱人り云々(『まわし枕』寛政元年1789刊)

此土開闢(ひらけ)初しゟ以来(このかた)、極楽詣りの同行、櫛の歯を挽がごとく素見地廻りの阿羅漢、間夫と地色の尊者達、未至(やぼ)とぶ意気の舎利弗まで、黄金の膚(はだへ)を見せて功徳荘厳のありがたきを知る云々(『花街寿々女(さとすゞめ)』上巻 文政九年1826)

(品川の大見世 客は商人、女郎はへや持 女房になろふしよふといふ中、茶屋に借金が溜まるが「馴染みげへに二階もとめずせがみもせず、うつくしくされるだけ一倍こつちでつれへのヨ」という状況)
川柳点の秀句に、 おもしろくなり深くなりぐちになり
右の句にて味ふべし、斯の如くになりては、たがひに見へもへちまも一切かまわず、互イにためを言もし言れもするなれど、自然と女郎は外の客がいやになり、一図に思ひこむ物也、斯なりての上は地者とは異にして多の中での間夫なれば中々別なものなり、あいがたき傾城の実(まこと)に逢時は是運命の尽る所か云々(『夜色のかたまり』天保三年1832序)


 B客色と地色の両方を「間夫」とする例
間夫は大切の事也。此間夫に色々有り。まづはいきぢのはりのと心得て客ならば随分貧公。又は地まわりなぞの。兎角逢にくきものを好(す)く事すべて女郎のならひ也云々。(『傾城異見之規矩(かね)』安永十年1781自序)

  「間夫」が客色地色のいずれを指すのかは、時代とともに変化したのか、それとも人によって考えが違っただけなのであろうか。

二、間夫は一人だけか
 また、『奴通』には「色客の間夫のといふは」とあり、色客と間夫が同じ物なのか別物なのか判然としないが、『まわし枕』とともに間夫あるいは色客は「タツタ壱人」といっている。

手めへなんざア。売られる身だから。買はれている。買にくるから逢って帰へすといふもんで。どんな色男だろうか。大通だろうが。男にやアあきはてゝ居る物を。めったにほれてたまる物か。ほれねへからア。誠をつくそふはづはねへが。そん中にも色きやくの間夫といふは。格別て気のねへ勤の其中でも。元が女と男だから。しぜんと和合する所で。器量にほれるか気にほれるか。千万人の其中で。タッタ壱人の男だから。是かほんの誠だが。ソリヤアもふ及もねへ。犬の歯に蚤一の富だから。ほれられやうとおもふが不通。(『奴通』安永1772〜81頃? 本所入江町の岡場所)

  ところが『吉原楊枝』では、遊女にとっては客色と地色は別であり、両方いても不思議でないとしている。
又女郎のこのむ所に客と地色との大キなるわかち有り。金の有色男の客もつとめといふ文字あれはいや也。銭のなきぶ男な地色もまぶといふ文字有ればおもしろし。女郎も客にほれたと地色をするとは、心の内に別有れば、地色を見のがして客のはちにならず。客にほれるは地色の恥にならず。(山東京伝『吉原楊枝』天明八年1788刊)

  また『古今吉原大全』(明和五1768年刊)も「間夫」という言葉は使わず、客色、地色を使っていているが、色客(客色)はただ一人とは限らないという。
十人客ある女郎なれば、九人はだしなり。目はなをきかせてかふべし。のこらずの客へ実をもつてまわらば、身も夜もつゞく事にあらず。されど其いろ目を見せては、ひとりも来るものなかるべし。かしこき女郎ほど、だしにつかう客をば傍輩其外のまへまで大切に見するものなり。しかし、只ひとり色客あるにもかぎらず。一二の符帳をつけて上中下の品あらふもしれず。
  ただ、別の所では「真の色客」は一人だと云っている。
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         『古今吉原大全』の挿絵より
 

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