落語の中の言葉68「駕籠」

          三代目三遊亭金馬「蔵前駕籠」より

 「蔵前駕籠」に出てくるのは宿〔やど〕駕籠で、「ちきり伊勢屋」で落ちぶれた伝次郎が舁くのは辻駕籠である。ほぼ同じ物なのか、違う物なのか。
1、乗物と駕籠
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そもそも江戸時代に人が担いで人を運ぶものには「乗物」と「駕籠」の二つがあった。『守貞謾稿』に載せる図をあげると左上の通り。「その製の緻密なるをばこれを乗物といひ粗雑なるをばこれを駕籠と呼びたるなりとぞ。」(『江戸町方の制度』)という。この乗物と町駕籠を見れば一目瞭然であるが、両者を決定的に区別する基準はよくわからない。戸のあるのが「乗物」で、戸がなく垂れだけのものが「駕籠」かと思っていたらそうではなかった。町駕籠にも戸のあるものもあるし、武士の「駕籠」については「乗物」と紛れないようにせよとも云っている。
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左「はうせんじ駕籠」、右「あんぽつ」

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左「京四つ駕籠」、右「四つ手駕籠」



『守貞謾稿』には江戸の町駕籠として四つのものがあげられている。グレードの高い順にあげると、はうせんじ駕籠、あんぽつ(京坂あんだと云う)、京四つ駕籠、四つ手駕籠である。上方は又別で、宿場の駕籠(宿〔しゅく〕駕籠)も箱根山の駕籠も別製である。また吉原通いの四つ手駕籠の垂れには窓がないという。歌川国芳の「東都名所・新吉原」に画かれた四つ手駕籠の部分をあげる。はうせんじ駕籠・あんぽつには戸があり、京四つ駕籠には戸があるものもまれにあるという。また「乗物」を許されたのは武士でも万石以上すなはち大名だけである。五千石八千石の大身旗本でも江戸市内では駕籠である。ただ駕籠といっても武士の乗る駕籠は町駕籠とは違う。戸も付いていた。また町駕籠は二人で舁くのに対して、「乗物」は二人づつ四人が基本である(六人舁きもある)という。
 また、江戸で医者の乗る駕籠も四つ手駕籠とは大いに違い立派である。
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江戸医師乗物 蓙巻なれども、いささか小形にて上特に狭く、ただ軽きを旨とす。また窓は常の大きさなれど、簾を長くするは立派を好むなり。(中略)
 江戸は官医剃髪にて法印・法眼に任じ、十徳を着し、平日は羽織なり。故に乗物を狭くす。
 江戸、官医にあらざるも、皆これを学ぶ。
  追書。ここに医師乗物と書きたれども、のり物とは云はず、形乗物なれども医者駕籠と云ふなり。ただ官医にはのりもの、町医にかごと云ふを、惣じてのりものと云ふは非か是か。
  「代脈」に出てくる駕籠もこれであろうか。
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左の図は『江戸名所図会』にある「目黒飴」の図。女中・小僧・供の者もついていて、大店のおかみさんと子供らしい。医者駕籠・はうせんじ駕籠は、現代でいえばお抱え運転手付きの自家用車といったところになろう。


2、駕籠に乗れる者・場所
 建前上は江戸町中では医者、出家、病人や老人などのほかは特に許された町人以外駕籠に乗ることは禁止されていた。

寛文五年(1665)二月の町触
一町中ニてかこ、あんたニ乗候者有之由ニ候、前々より御法度候間、自今以後町中ハ不及申、品川千住板橋高井戸此内を限、堅乗申間敷候、若相背、乗候者有之は相改とらへ、急度可申付候事
一乗物并かこ、あんた御赦免無之者、旅え出候共、又ハ旅より江戸え罷越候共、品川千住板橋高井戸、此内ニて堅乗申間敷候、是又相背、乗候者候ハヽ改、急度可申付候事
宝永二年(1705)八月の町触
一借駕籠之儀、度々相触候得共、今以定之外猥ニ乗候様ニ相見え不届候、最前相触候通、女童医者出家盲人又ハ目ニ見え候程之病人、歩行不成極老之者、此外ハ一切乗申間敷事
この建前は幕末まで維持されたようで『守貞謾稿』にも
守貞云ふ、今世、専ら乗るといへども病気に矯〔かこつけ〕て乗ることなり。無病の者乗るを得ざるなり。故に公に及ぶことあれば皆、病者、足痛等の云ひ訳なり。
とある。

3、辻駕籠の数の制限
 又町駕籠の数にもある時期までは制限があった。正徳三年(1713)三月
 廿二日令せらるゝは、(中略)
市中の軽輿は。むかしなかりしにより。その数を減じ三百挺はゆるし。女童又は衰老病者の外のすべからず。(以下略)(「有章院殿御実紀巻二」)

その後享保十一年(1726)に至り、数の制限は撤廃されている。
 享保十一午年十二月
一辻駕籠之儀、只今迄都合三百挺ニ相極、焼印いたし、右員数之外は停止に候處、自今は辻駕籠不及焼印、員数無搆候間、勝手次第ニ可致渡世候、尤駕籠戸を立候儀は只今迄之通停止ニ候間、戸立候事ハ一切致間敷候、駕籠屋共も其旨相心得、辻駕籠之分敷居鴨居附ケ申間敷候、只今所持いたし候駕籠之内ニも、敷居鴨居有之分ハ、早々取放し可申候、自今戸立候駕籠於有之は、持主は勿論、駕籠屋共に吟味之上急度可申付候、右之趣、町中可触知者也、(御触書)
4、その他
かけ声その他について『守貞謾稿』にあることを紹介する。
 四つ手を急速を専らとする時は、二夫一歩ごと各互発声して、「はあん」「ほう」と云ふなり。俗に掛声と云ふなり。(中略)
 四つ手賃銭、日本橋辺より新吉原大門まで大略金二朱、すなはち銭にて八百文ばかりなり。三夫四夫にて輪替し舁くも、これに准じて金三朱、四夫は一分なり。はうせんじ以上は息杖木、あんぽつ木あるひは竹、それ以下は竹杖なり。
 
江戸吉原およびその他、遊女に通ふ徒、ことに急速を欲す者は、四つ手に四夫あるひは三夫を供し、二夫づゝ輪替し舁く。二夫をさしと云ひ、三、四夫を三枚四枚と云ふ。かくのごとく急速を欲すは地広く路遠き故なり。この時はかけごゑして大股に走る。駕中動揺はなはだし。

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