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zoom RSS 落語の中の言葉162「無尽」

<<   作成日時 : 2017/02/10 20:08   >>

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        古今亭志ん生「祇園祭」より

 頼まれて入った無尽に当たり大金を得ると、親父からそんなに金がほしいのかと怒られ家を追い出される。金を溝に捨てるのももったいないからと友達と上方見物に出かける咄である。咄では「無尽」とだけ云っているが「取退無尽」であろう。普通の無尽(くじ取り)であれば、掛け金の合計と受取り金は同額であり、損も儲けもないからである。
 取退無尽は博奕の一種と見なされ、禁止されていた。無尽そのものが現代ではすでに知る人が少なくなっているであろうから、こちらから説明することにする。

 無尽はかなり昔からあったという。
   ○無尽銭 たのもし
今無尽と称する講あり。たのもしともいへり。無尽銭といふ名目は、はやく建武式目に見えたり。さてたのもしといふことは、田物代(たのものしろ)の約語(つゞまり)にて田実(たのみ)の意にて、これはむかしの国制に、貧富強弱を平等に配り合せて、互に伍人組を立(たて)、たのもしをもて出しあひ、村役所に預かりおき、貧民のもの、租(ねんぐ)なく食なく、進退に迫るときはその銭を役所より出しあたへ、一郷一村の中を結合(むすびあは)せ立行ゆゑ。富有なるものは一生涯にその田のもしを取ことなく年々賭(かけ)入るゝことのみなせり。是上古の貸税(いだしおほちから)の制度の遺れるなり。貸税のことは、書紀の天武紀の詔(みことのり)に見えたり。(山崎美成『世事百談』天保十四年1843刊)

 江戸時代の初期から無尽はずいぶん流行ったようである。
 江戸町にてむじんはやる事
 聞しは今、関西大坂、堺にてのはやりもの、関東江戸まで流行しは、たのもし無尽と名付て、ひんなる者が有徳なるものをかたらひ金を持寄座中へ出し、百両も弐百両も積をき皆入札を入、是を買とる。りとくなる者は貧なるものにたかふかはせ、毎月金の利足とるを悦び、貧なるものは持ぬ金を得る心地して歓ぶ。はやりものなれば、いかなる人も五十口、三十口無尽に入り、扨又、無尽好む人達は壱人して百口も弐百口もするなり。江戸本石町四丁目の乳牛彦右衛門と云人は、弐百廿口に入て無尽中をかけまはり、売買にひまなしと愚老に物語りせられし。いづれの人もかくのごとく成るに依て町さわがしきこと是希代のためし也。(三浦浄心『慶長見聞集』慶長十九年1614自序)

 流行ったのは入札式の無尽のようである。江戸時代の無尽とはつぎのようなものであった。

 無尽は江戸の用語で、京阪ではこれを「頼母子(たのもし)」と呼びましたが、ふつう、講と称する組合を結んで行ないました。
 発起人を親といい、親は講の規約をきめて講員を募集するのですが、その人数は二十人ないし三十人ぐらいです。ときには親がなくして、数人の話合いで講が設立されることもあります。この場合には「おやなし」と呼びます。懸け金は関東では金、関西では銀ですが、小規模のものは銭をもってします。一口の懸け金はきまっています。
 講員が二十人、懸け金が一貫文の場合を例にとって見ると、第一回の講会には、各人が一貫文ずつ持参して、懸けます。二十貫文の金が出来るわけですが、この第一回の懸け金は親が取ります。親がいない場合には、講員の中の一人が取ります。災難のためまたは事業遂行上、金がとくに必要な人があり、その者のために、講を設立したような場合には、その者が第一回の懸け金を受取るのです。
 第二回以後の懸け金は、入札(いれふだ)または振りくじによって取り人をきめます。入札は各人をして、その取り金を入札させるもので、最少額を入札したものが落札します。たとえば、ある会の懸け金が二十貫文とし、これに十六貫文と十五貫文との二つの入札があったとすると、十五貫文の方が落札します。というのは、各人みな、結局二十貫文懸けるのであり、したがって、二十貫文受け取る権利があるわけなのに、一方は四貫文、他方は五貫文を放棄したことになるのですから、講としては、五貫文を放棄した方に落札させた方が有利なのです。このとき講の得た五貫文は会の費用にあて、残額があれば、他の講員に返還されます。入札は主として関西で行なわれ、入札の頼母子と呼ばれます。振りくじによるのは、主として江戸でした。この場合も、二回以後には減額したものを与える場合もありましたが、ふつう、減額せず、前例でいうと、二十貫文を交付しました。ただ、くじにあたって懸け金を受け取った人は、この金を借りた形になるので、(それまでの懸け金と)将来の懸け金で返還することになりますから、その返済のために保証人を立てたり、担保を入れたりし、また利子を払います。この利子で集金その他の費用を賄ったのです。
 落札人も当せん人も、満会すなわち、加入者の数だけの会合が行なわれるまで、毎回所定の懸け金をなすべきでした。(石井良助『第三江戸時代漫筆』)

 江戸のようにくじで受取人を決め、減額せずに受け取る場合、各人とも一貫文を二〇回払い、受け取るのも二〇貫文で損得はない。受け取る時期に早い遅いがあるだけである。二〇貫文が必要な場合、積み立てても同じであるが、積立の場合は途中で使ってしまうこともあり、払い込んだほうが確実である。また二〇貫文が手に入る時期も無尽のほうが早い。最も遅くても積み立てた場合といっしょである。無利子で貸してくれる人があればいいが、ない場合は質の利用も考えられる。しかし質物が必要であり、また質物があったとしても利子が高い(39「質屋」)。

 「無尽」に対し「取退無尽」は親なし無尽と同じく第一回目からくじで受取人を決めるが、くじに当たった者はその会から抜けてしまい、次回から掛け金を出さない。二回目には十九人が一貫文づつ出し、くじに当たった者は十九貫文を受取り同様に会を抜ける。これの繰り返しである。これは互助ではなく全くの博奕である。

取退無尽と号、三笠博奕同前之儀有之由相聞候ニ付、停止之旨前々相触候処、今以不相止、近頃ハ寺社建立講、又ハ品々之講と名付、取退無尽致候ニ付、右当人共相顕候分ハ召捕、此度御仕置申付候、向後右躰之儀有之ハ、武家方寺社方町方在方共ニ遂吟味、当人ハ不及申、地主家主五人組名主一町内之者共迄、三笠博奕同前ニ咎可申付候条、常々心掛致吟味、疑敷もの於有之ハ早々可訴出候
右之通可相触候
  (寛保元年1741)酉四月 (『江戸町触集成』第五巻)


 同様の禁令が幕末までしばしば出されている。

                世話懸名主共
近頃品々名目ヲ付仕法ヲ組、連中ヲ集、取退無尽ニ紛敷義相催候者も有之哉ニ相聞、以之外之事ニ候、右は前々触申渡之趣も有之、此上右躰企致候もの於有之ニは無用捨召捕、吟味之上厳重ニ可申付間、心得違無之様可致旨、名主共支配限り早々可申通
右之通被仰渡奉畏候、仍如件
  卯二月廿日      品川町
              名主 庄左衛門
                 外三人
右之通北於御白洲被仰渡候間、御組合限り月行事持場所共早々御通達可被成候、尤被仰渡書町々自身番屋江張出し候様、御吟味所ニ而御沙汰有之候間、此段御達申候、以上
  (慶応三年1867)二月廿日         小口世話懸り (『江戸町触集成』第十八巻)
 
   互助としての本来の無尽をまねた不正無尽は取退無尽以外にもあった。

相模(神奈川県)荻野山中藩大久保家(一万三千石。相模小田原藩大久保家の分家にあたる)は、藩士が講元(主催者)となり、六人の大坂町人が世話人となって無尽講を組んだ。講の参加者を二百七十人募り、これを九十人ずつ三組に分け、掛け金は一人毎月金一分、三十六回(三年)で満講となる。掛け金の総額は二千四百三十両になり、年に三回、三年で九回無尽講の集会を開き、そこで当たりくじを作って割り戻してゆく。当たりの数が限られ、しかも当たりの金額に大きな差を設けていたので、当たれば儲かるがはずれる可能性の方が高く、講参加者にとっては、富くじ同様に射倖性の強い博奕同然のものだった。その点だけでも、この無尽講は違法だった。
 ところがこの無尽講は、割り戻し金と講集会ごとの飲食代などを差し引いても、なお七百十六両も残る仕組みだという。それが「徳益」として、講元の大久保家の収入になるというのだ。この大名は、一銭も出さずに、講元になるだけで七百両もの大金が手に入った。例の一両二十万円とすると、一億四千万円となる。
(中略)
 商人や職人が、営業上の便宜をはかってもらうため、幕府役人へ無尽講の講元をワイロとして贈ることすらおこなわれている。(藤田覚『大江戸世相夜話』)

  現在の宝くじや中央競馬などの公営ギャンブルでも一番美味しい思いをしているのは主催者である。

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