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zoom RSS 落語の中の言葉174「しめこの兎」

<<   作成日時 : 2017/11/20 20:20   >>

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    三代目古今亭志ん朝「強飯の遊び(子別れ・上)」より

 御出入り先の御隠居が亡くなり、葬儀の手伝いで山谷の寺の台所で働いていた熊さん、咽が渇いて茶でも飲もうと近くにある土瓶から湯飲みに注ぐと、これが御酒。こいつはありがた山の烏鳶(からすとんび)、しめこの兎と土瓶を三つも空けてしまい酔っ払って眠り込む。

 「しめこの兎」を辞書を引くと

『日本国語大辞典』
しめこ〔占子〕〘名〙兎。兎を飼う箱ともいう。「うまくいった」の意の「しめた」や、「絞める」などを掛けていう。

しめこの兎 @(「うまくいった」の意の「しめた」に、兎を「絞める」をかけていう語)物事がうまく運んだ時にいうしゃれ。しめた。しめこのうさうさ。Aしめ殺すことをいうしゃれ。

『江戸語大辞典』
しめこ〔占子〕兎肉の吸物とも、兎を飼う箱ともいい確かでない。転じて占めるのしゃれ。手に入れること。わが物にすること。
しめこの兎 前条に同じ。また感動詞として、しめしめ、しめた、うまくやったの意にも用いる。

用例を見る
○『仲街艶談』寛政十一年1799刊
〔客太兵衛〕(はなかみ入より三両出しかみにひねり)サア小はる是をマアとつておけたりねへ所は吉田やまでいつてよこせ 〔小春〕アイ(トいつたばかりにふところの紙へちよいとはさみ先ツしめこのうさぎとおちつき)いつきなはる

○『風俗通』寛政十二年1800
 (深川の遊女お染が心中だてに客文長の名を腕に彫ろうといって)
〔染〕はすゝり箱とはりヲかりき行 〔文〕はもはやしめこと大あぐらにてうすかうばいをのんでいる所へお染ははりとすゝり箱を持てきて云々

〔船宿〕きのうかやば町ておみくしをとつたら大吉たからこいつは大くわんじやうしゆかたしけねへしめこのうさきとすくにおみきをあけたかそれしやアちつとかんじやうかあわずかつせんた

○式亭三馬『人間一心覗替操』文化十一年1814刊
「思入れ焚付さつし。その上でこつちへまんとしめこの」などゝ、赤本時代の洒落を言ふ。

 引用者註 赤本:丹表紙の草双紙(絵本)。主に子ども向け。享保(1716-36)の頃盛ん。

 いずれも「しめた」あるいは「しめしめ」という意味であることは分かる。「うまくいった」の意の「しめた」に、兎を「絞める」をかけて、「しめこの兎」となるという説明は腑に落ちない。

 しゃれ詞には種々のものがある。例えば
一、形態によるもの
  中みせの達磨で目がない
  下積みにされた蜜柑でそこらじゅうあたっている
  芝居のひと玉でぶらぶらしている

二、音によるもの
同音異義語を使う
  美味かった 馬勝った牛負けた
  有難う    蟻が十(とお)なら蚯蚓(みみず)は二十歳(はたち)
  有難い    蟻が鯛なら芋虫や鯨

同音の言葉を重ねて繋げる
  かんにん信濃の善光寺
  腹が数寄屋河岸
  おとり上げは梨地の硯箱

同音の繰り返し
  おどろ木桃の木山椒の木
  あたりき車力車ひき


三、その他
*すである言葉の一部を替える
  其はづの池(不忍池)
  気がもめの吉祥寺(駒込の吉祥寺)
  もめの仙人(久米の仙人)
*「印」「山」をつける。
  船頭→「船印」、ふといやつ→「太印なやつ」。行く→「いき山」、
  のみこんだ→「のみこみ山」、ありがたい→「ありがた山」など。
  ありがた山はさらに、「ありがた山のとんびからす」などと続ける。
  江戸時代のものは「とんび・からす」の順になっている。(『其返
  報怪談』『金々先生栄花夢』『鸚鵡返文武二道』)
*倒語。
  素人→「トーシロ」、煙管→「せるき」、しだらがない→「だらしがない」
  式亭三馬『浮世床』初編巻之上(文化十年1813刊)には「なんの。
  だらしもねへくせに」という言葉に(しだらがないトいふ事を「だらし」が
  ない、「きせる」を「せるき」などいふたぐひ、下俗の方言也)と割註を
  つけている。現在では「だらしがない」を専ら使うが、江戸後期では
  「しだらがない」が普通だったようである。
*逆の意味の詞に替える。
  面白い→面黒い
  ありがたい→梨が柔らか
このほかまだまだ沢山あろう。
しかし、「しめた」と「兎をしめる」から「しめこの兎」となるのと同じ構造のしゃれ詞が他にあるのだろうか。思い当たらない。

 ところで「しめこの兎」という子供の翫びものが江戸時代から売られていた。

『江戸風俗画集成・目でみる江戸時代 弐』の「江戸市中世渡種 二十一」に次の画がある。同書は明治期の「風俗画報」収載の図版を厳選抜萃し、「画報」の本文を平易な現代文に改め、図版解説として入れたもの
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その解説は次の通り。
〆この兎 「飛んだりはねたり」と同様の玩具。月に兎餅を搗くの絵看板を出し、綿でできた小さな兎を売る。ばね仕掛けではねるのである。

  いつ頃から売られていたのかは分からないが、安永八年1779刊の蓬莱山人帰橋『美地の蛎殻』に
「綿でこせへたうさぎでは有るめへし。はねる事はねへもんだ。」とあるので、少なくとも安永頃にはこの玩具はよく知られていたようである。
「しめこの兎」というしゃれ詞があって、あとから玩具に「しめこの兎」という名を付けたのではないかと思われるが、その逆の可能性もなくもない。

 ところで「とんだりはねたり」は江戸東京博物館NEWS vol.17(平成九年)に記載がある。平成八年の新収蔵品紹介の一つである。ただし昭和初期のもの。
画像

その説明文は次の通り。
江戸時代の安永年間(一七七二〜八一)から浅草寺境内で売られていた玩具です。台である割竹の上に張子の人形がのっていて、その人形がかぶりものをかぶっています。割竹の真ん中には糸が何重にもまかれており、割竹の下の真ん中に細竹が差し込まれています。この細竹を反対側にひねって置くと、糸によって細竹が元の状態に戻り人形がはね上がって、かぶりものがとび、人形の顔があらわれるというものです。当時は大変人気のあった玩具で、人形とかぶりものにさまざまな種類のものがありました。台の人形とかぶりものの関係に趣向をこらした点に、人気があったようです。今回寄贈していただいた「とんだりはねたり」は昭和初期のものですが十八点あり、かつての種類の豊富さがうかがわれます。

『郷土玩具辞典』には次のように書かれている。
六センチほどの割竹の台の上に小さな張り子人形を乗せ、台の下に竹ばねに松脂をつけ、かたわらで手拍子を打つと、その微動で飛び返える。絡繰(からくり)玩具の一種。(中略)
安永(一七七二〜八一)のころ、江戸浅草観音の雷門の傍で売られたのが最初といわれ、江戸の代表的玩具として人気があった。これより四〜五〇年以前の享保年間、上方で刊行の『絵本菊重ね』には、「飛人形」の名で同様の玩具がすでに掲載されている。また安永二年刊の玩具画集『江都二色』(北尾重政画)の中には、やはりこれとそっくりな玩具が「はねむし」の名で描かれているとこを見ると、関西でさきに案出された飛び人形がこれの祖型と思われる。天明(一七八一〜八九)以後は、雷門に定店が出来たほど浅草の名物となった。(中略)
この着想は、安永年間、浅草田町に居住の亀屋忠兵衛という者が、当時「亀山のお化け」という評判の見世物から案出して制作、雷門内、日音院門前で売り始めたものという。(以下略)

 ちなみに『絵本菊重ね』にある絵を下に挙げる。
画像

 「飛んだり跳ねたり(亀山の化物)」については、
喜多村筠庭『嬉遊笑覧』巻之六下(文政十三年(天保元年)1830自序)に
飛人形は、竹の串を膏薬にひねり付てはねかへらす張子人形なるべし。『描金画譜』に、笠着て匍匐(ハラバヘ)る人形見えたり。今浅草寺門前にて売亀山の化物などいふは、張子二つにて、一つは上に着せはねかへれば、脱(ヌゲ)て形かはるやうにしたり。いと近きもの也。又、綿にて作れる兎もあり。こはもとより有しなるべし。亀山の化物は、「四国を廻りて猿となる」と云(いう)諺を、飛人形に作りしが始にて、其よりさまざま出来ぬ。形かはる故に化物といひ、亀山とそへていふは、丹波国亀山にて生捕しなどいひて、何によらず観(み)せ物に度々出るなれば、化物はいつもそこより出るやうにいひなれたること也。四条河原よりいひはじめし歟(か)。


また『真佐喜のかつら』(嘉永1849-54末年?)には

文化之始、堀江町ニ世を渡り兼る老人あり、聊かの銭にて元手とし、葭を壱尺程に切、赤紙を細くきり葭を巻、黄なる紙にて蝶のかたちをおかしげに造り、馬の尾毛を附、よしへ通し、市中を〽蝶々とまれや菜の葉にとまれ、それとうまった、と声にふしつけて売歩行、小児の手遊ひとつ四もんづゝなり、是大に流行せり、外にもくさぐさの新工風仕出しの手遊ありけれど、皆其時かぎりなれど、浅草寺雷神門内亀山屋太兵衛がうれる、飛だりはねたり替たりと云手遊ハ、昔よりかはらず、されどあたひハ今高直に成しと覚ゆ、
とある。
「飛んだり跳ねたり」という名は出てこないが、それをさす表現もある。

釜ひつくりかへつてたことかはる、傘ひつくりかへつて介六とかはる八文々々 (山東京伝『娼妓絹籭』寛政三年1791刊)

(又一人かけて来しなにつまづきて、かたあしの下駄ひっくりかへる) 熊「ヲットきたりナ。傘(からかさ)かはつて猫となり、下駄ひつくりかへッて素足(はだし)となる(ヨイ々々、ト手拍子をうつ) でん「雷門のうしろへ出て居ればいゝ云々(式亭三馬『浮世床』初編巻之上 文化十年1813刊)

 「飛び人形」も「しめこの兎」や「飛んだり跳ねたり」も跳ねるのにあわせて手を叩いたようである。しめこの兎は『目で見る江戸時代』の画には四文とあり、飛んだり跳ねたりは『娼妓絹籭』に八文とある。人形や兎などが跳ねる玩具は享保年間からあって、「飛んだり跳ねたり」は亀山屋太兵衛(亀屋忠兵衛)が安永年間に、張り子を二重にして跳ねたとき下から別の姿が現れるよう新工夫を加えたものと思われる。ただ、江戸東京博物館収蔵の昭和初期のものは江戸期のものとは違っているようである。昭和初期のものはかぶり物が飛んで顔が現れるだけであるが、江戸期のものは釜→たこ、傘→助六、傘→猫など姿が一変している。「亀山の化物」とも呼ばれた所以である。千葉惣次『江戸からおもちゃがやって来た』には明治期のものとされるものの写真が載っている。跳ねる前と後の図を並べて示す。この方は京伝や三馬の記述と一致する。
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