落語大好き

アクセスカウンタ

zoom RSS 落語の中の言葉180「貸本屋」

<<   作成日時 : 2018/03/20 20:15   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

       「干物箱」より

 道楽者の若旦那、外出を止められていたが湯へ行くのを許される。家を出ると吉原へ行きたくなり、自分の声色がうまい貸本屋の善さんを頼み、身代わりに二階へ置いて遊びに行く。ところが善さんは若旦那から聞いていないことを親父さんに尋ねられ露見する。
 この善さん、貸本屋だという。そう言えば「品川心中」の金蔵も貸本屋である。二人とも貧乏暮らしをしているのを見ると貸本屋を経営しているのではなく、また奉公人として働いてるのでもなさそうである。日当か歩合でも貰って外廻りをしているのであろうか。

 江戸の貸本屋は次のように言われている。
 本といっても黄表紙や洒落本は、半紙半裁型の小さな判型で、二つ折にして綴じるから半紙四つ切大の小型本である。これらの絵入り短篇の小説類は、錦絵などと同じく絵草紙屋で比較的安価に買うことができたが、文化初年(十九世紀初め)頃から盛んとなる合巻(黄表紙が長篇化して数冊で合冊したもの)や読本(複雑な筋書の長篇読み物)など大部な本は、誰しもがおいそれと自分で買うことはできなかった。葛飾北斎の『富嶽百景』(全三冊)とか『北斎漫画』(全十五編十五冊)などの、充実した絵本なども同様であった。
 それら購入はできないが読みたい、見たいと思う本は、どうしたら良いかといえば、安直な貸本屋(文化年間〔一八〇四〜一八〕の江戸に六五六軒、天保年間〔一八三〇〜四四〕には八百軒に及んだという報告もある)を利用すれば良かった。彼らは、新旧の本を仕入れて大きな風呂敷にそれらを包み、一軒一軒御用を聞いて貸し歩いたのである。読者の方は、わずかな損料(借り代)を払って多くの本を楽しむことができたので、重宝されたもののようである。いわば、有料の移動図書館という趣きだったわけである。(小林 忠『江戸浮世絵を読む』)

文化・文政期は出版統制が続けられているにもかかわらず、出版物は増え続け、量的にはむしろ繁栄の時代を迎えたのである。
 こうした状況を支えたのは貸本屋である。天保年間には、江戸の貸本屋は800軒あったといわれている。
 では、なぜ貸本屋が栄えたのだろうか? 江戸時代、書籍はとても高価で、井原西鶴の浮世草子は現在の金額にすれば数千円し、普通の好色本でも2、3千円はした。
 滝沢馬琴の著作の多くは長編だったので、数冊になる場合が多く、1万円をこえることもあった。だから、書物にはなかなか手を出せなかった庶民は、貸本屋で借りたのである。そこでは、購入する場合の5分の1から8分の1で借りることができ、借りている間に筆写すれば自分の蔵書にもできた。結果、庶民の娯楽を満たすものとして、貸本屋は浸透していったのだ。
 また。貸本屋は店棚に座って客を待っているだけではなかった。このころには、豪農などが書籍を集積し、村民に貸し出すという、知のネットワークが各地で形成されていた。貸本屋はこうした動向に応じ、書物を風呂敷に背負って、農村にまで行商を行っていたのである。(山本博文ほか『こんなに変わった歴史教科書』)

 
画像
      十返舎一九「倡客竅学問」より

 『江戸浮世絵を読む』には「黄表紙や洒落本は、半紙半裁型」とあるが、黄表紙は中本といって美濃紙を半裁した紙に摺り、二つ折にして袋綴じしたもので半紙半裁型の洒落本よりは大きい。本の大きさは後にあげる。また「これらの絵入り短篇の小説類」ともあるが、黄表紙は各頁に絵があり、そこに文字(多くは仮名)が書き込まれている。洒落本はほとんどが文字であり、わずかな挿絵があるだけである。黄表紙の見本として『金々先生栄花夢』(恋川春町、安永四年1775刊)の一部を下に示す。
画像

 『金々先生栄花夢』は上下二巻各巻五丁、上図のように本文はすべて絵の中に文字が書き込まれた形になっている。一方洒落本『錦之裏』(山東京伝、寛政三年1791刊)は小本一冊で全四十二丁半、うち絵は口絵が一丁あるだけである。
 また『江戸浮世絵を読む』『こんなに変わった歴史教科書』ともに江戸時代の本は高価であったというが、江戸時代の板本には価格が書かれていないので値段はわからない。黄表紙や洒落本は「比較的安価に買うことができた」というがいくらだったのか、借り賃はどれ程だったのであろうか。

 本の値段については、あさくらみつとも『書儈贅筆』天保十年1839 に多くの本の値段が載っている。
七ノ人物 二分也 歌林拾葉十二 九十匁也 桑華蒙求三 四十五匁也 平家物語鈔 三両二分 楢山拾葉 四十五匁也 万葉名寄 二十五匁也 盛衰記(活字) 二両二分也 (以下略)など耳慣れない本ばかりで、その中で比較的一般的なものは次のものである。

江戸雀(三分) 江戸名所記(二分二朱) 好色一代男(廿五匁)
 金建てだったり銀建てだったりするので銭に換算すると、天保十年の銭相場は金一両(銀六〇匁)=6貫800文ほどであったから、

江戸雀 菱川師宣著    延宝五年1677刊 十二巻 三分=5貫100文
                 一巻当たり425文
江戸名所記 浅井了意著 寛文二年1662刊 七巻 二分二朱=4貫250文
                 一巻当たり600文
好色一代男 井原西鶴著 貞享元年1684刊 八巻 廿五匁=2貫833文
                 一巻当たり354文 ただし江戸板

仮に1文=20円とすると、蕎麦(もり・かけ)十六文は320円、髪結床二十八文は560円。それに対して本は、この三つのうちで最も安い「好色一代男」でも八巻で5万7千円弱(一巻約7,000円)、「江戸雀」では10万2千円(一巻8,500円)と相当高額である。

一方、草双紙などは安い。
一むかしは絵草紙を青本、〔割註〕黄色表紙なり、享保の頃の表紙は、紙も元黄色なりし故此名あるか。」黒本、〔割註〕ことしの新板を来年黒表紙にして出せり。」赤本〔割註〕丹表紙にして多く一冊のものなり。」といひて、青本の価六文、黒本赤本は五文なり。〔割註〕宝暦の比、予が即ち幼なかりし比也。」近頃青本の価八文に成、十文になりしより、つひに十二文になりて、昔の価に倍せり。近頃まで青本の事を、本屋仲間に青々とよびしが、此比前編後編の作出来てより、同巻物とよぶ、価も次第に高くなりて、小児の見るべきものにあらず。
   文化十四年丁丑の年より同巻物代の色すりよきを禁ぜられて、同
   巻はやみ草双紙の如くなれども、半紙すりにて一冊十六文づゝに
   売て、価も又合巻ものなり。 (この部分は後の註記らしい)
         (大田南畝『金曾木』文化七年1810成)

 青本などの草双紙は中本形、本文の用紙は漉き返し、五丁(二つに折って袋綴じにするので10ページ)と薄っぺらである。文化年間には一冊12文。1文=20円とすると、一冊240円。

洒落本は小本(貸本屋用のものは中本だったという)で、
 抑(そもそも)件の洒落本は、半紙を二つ裁にして、一巻の張数三十頁許、多きも四十頁に過ぎず。筆工は仮名のみなれば、傍訓(ツケガナ)の煩しき事もなく、画は略画にて簡端に一頁あるもあり、なきもあり。その板一枚の刊刻、銀弐、三匁にて成就しぬるを、唐本標紙といふ土器色なるを切つけにしたれば、製本も極めて易かり。されば本銭(モトデ)を多くせずして、全本一冊の価銀壱匁五分也。そが中に大半紙二つ裁にせし中本形なるは、弐匁、或は弐匁五分に鬻(ひさ)ぎしかば、その板元に利の多かる事いへばさら也、貸本屋等も、その新板なるは、一巻の見料弐拾四文、古板なるを拾六文にて貸すに、借覧せるもの他本より多かりければ、利を射ん為に禁を忘れて、印行やうやく多かるまゝに、寛政八、九年の比、当年洒落本の新板四十二種出たり。(曲亭馬琴『近世物之本江戸作者部類』巻之一 天保四年1833成)

   註 張数:丁数  簡端:巻頭  刊刻:彫り代 
     切つけ:表紙のかたち  大半紙:美濃紙
     寛政初め頃の銭相場:金1両=5貫〜6貫、1匁=83〜100文 

 馬琴によれば洒落本は小本全本一冊の価銀壱匁五分というから130〜150文(2,600〜3,000円)、ただ、貸本屋の洒落本は小本ではなく中本だったというので一冊170〜250文(3,400〜5,000円)である。貸本屋の見料は新版で24文(480円)という。

 「半紙すり」「中本」などとあるが、江戸時代の板本に少し説明を加えると、ほとんどは木版で摺ったものを二つ折りにして袋綴じにしたもの。
○板本の大きさ(用紙、本の大きさ、現行本との比較)
        用紙          本の大きさ    現行本との比較
 大  本 小判の美濃紙      約260 x 186o 週刊誌より少し大
 中  本 小判の美濃紙の半分 約186 x 130o B6判より少し大
 半紙本 半紙            約226 x 154o 菊判より少し大
 小  本 半紙の半分       約156 x 112o 文庫と新書の中間
○表紙
一般的には本文とは別の紙を使い、厚手の紙で裏打ちをして四辺を2センチ程裏へ折り返す。「切つけ表紙」とは糸綴じの反対側一辺のみ折り返したもの。
○一ページの行数と一行の文字数(板本と現行の新書の比較)
 小 本  一ページ8行前後   一行21字前後
 新書版  一ページ16行前後  一行42字前後
  小本は一ページの行数も一行の文字数も新書の半分。従って一ページの文字数は新書の約四分の一、文字の大きさは四倍ほど。

○発売までの過程
作者の原稿(稿本)→筆耕・筆工(版下)→校合→彫り→校合→摺り→丁合→切り揃え→表紙付け→糸綴じ
木版摺は版下を裏返しに版木へ貼付、文字を残して周りを彫るのであるから、読みやすい文字の版下をつくる必要がある。その者を筆耕(筆工とも)という。誤字脱字等がないか校合した上で彫りに回す。彫り上がると一枚摺って再び校合し、間違いがあればその部分を削り取り、埋木をして彫り直す。板木が出来ると摺師へ渡し、摺り上がると順番を揃えて(丁合)二つ折りにし、折り側以外の三辺を切り揃え、紙縒りで仮綴じをし、表紙をつけて糸綴じをして完成である。
 江戸時代の紙は例えば半紙といっても漉いた場所によって大きさが違う。また製本時に切り揃えるため用紙より少し小さくなる。

 ちなみに『近世物之本江戸作者部類』に「禁を忘れて」とあるのは寛政二年十一月に風俗に拘わる内容の出版が禁止されていることを指す。

寛政二年十一月
書物之義は前々ゟ厳敷申渡置候所、何日と無猥ニ相成候ニ付、此度書物屋共幷壱枚絵草双紙問屋共江改之義申渡、且壱枚絵草双紙問屋共是迄行事無之ニ付以来両人ツヽ行事相定候様申渡候処、右書物屋共之外ニ貸本屋世利本屋と唱書物類商売致候者有之、壱枚絵草双紙問屋之外ニも同様之商売致し候者有之趣ニ候間、前書之書物屋共草双紙屋共江此度申触候趣相心得、以来新板之書物同断草双紙壱枚絵之類取扱候節は、書物屋共幷草双紙屋之内行事共江其品差出、改請候上売買致、猥成義無之様可致候、尤素人ゟ壱枚絵草双紙時々雑説等板行致候ヲ買取売買致候義、堅致間敷候、若相背候者有之候ハヽ急度可申付候
右之通不洩様可被相触候
  戌十一月十九日  (『江戸町触集成』第九巻)

 江戸の本屋(出板する本屋)は仏書・儒書・歌書等堅いものも出板する書物問屋と浮世絵や草紙類を出板する地本問屋に分かれていた。この時から地本問屋にも行事が置かれ、事前に出板の可否を判断することになった。
そしてこの町触に違反したとして翌寛政三年の春、山東京伝と蔦屋重三郎及び地本問屋の行事が処罰されている。此の件に関しては次回番外として採り上げたい。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
落語の中の言葉180「貸本屋」 落語大好き/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる